3月の酔っ払い

あ、と思ったときには遅かった

世界が回っている

ぐるぐると、というよりはゆっくりと、地球の自転が視認できるようになったのではないかというぐらい微妙に世界は回りだしていた

これはまずい

足を踏み出すがなぜかまっすぐに踏み出せず、進みたい方向から少しずれてしまう

取り返そうと思って逆側に踏み出すも、これまた思っているのとは違ってしまう

あきらかにふらついている、焦りで少し汗ばんだがどうすることもできない

 

ほろ酔い、ではない

 

アルコールに浮かされるような楽しい感じはもはや全くなくて、むしろ頭から血の気が引いて胃の底に沈んでいくような重い感じがする

 

悪酔い、である

 

経験上、このあと間違いなく立ち上がれないぐらいの吐き気が襲ってくる

実際には吐き気ではなくて、貧血による眩暈なのだが、一見見分けがつかない

そうなったらもうなんとか頭を下げてじっとしているしかない

つまりうずくまるしかない

家まであとちょっとなのに、そのちょっとが果てしない

 

家の手前に公園があったよな、とかすかに希望を抱いたが

公園は見えているのに足が進まなかった

このままでは頭からアスファルトの地面に倒れこむことになる

 

しかたなく道端の駐車場のすみっこにうずくまる

頭を下げて少しでも血液が巡るようにする

さっきからフラフラしていたのでまわりは酔っ払いだと確信していることだろう

恥ずかしい

だがどうすることもできない

 

しばらくじっとしていると、少しずつ届くべき場所に血液が行き届きだした感覚がする

ゆっくり顔をあげて眩暈が収まったことを確認してから、慎重に立ち上がる

なんとか歩きだすことができそうだった

ノロノロと歩を進めながら、鼻が極端に冷たくなってるなとさする

私はなぜか貧血をおこすと鼻にまったく血が巡らなくなるのだ

いつものことだ

 

でも、こんな風によっぱらったのは何年かぶりだった

考えてみれば職場の飲み会に参加したのも何年かぶりだった

懐かしく疎ましい感覚に首を振りたかったが、今は頭を動かすのはよくない

 

なんとか帰路を歩き切った私は、コートも着たままベッドに突っ伏した

ともかく横になって頭をさげなければならない

家ならばいつまででもこうしていられる

安心感のなかウトウトしながら、もう二度とこんな風には飲まないと何度目かの誓いをするのだった

(まれ子)

 

あの時の別れ話(ある意味での読書感想文)

「そろそろ結婚したいとかって考えてる?」

 あなたが言ったとき、どういう返答を望まれているか、そしてそこから何を言おうとしてるか悟ってしまった。私はそんなにバカじゃない。だから望まれたいるのとは別の言葉を返した。

「別に。焦ってはないし、どうしても結婚したいとも思ってないよ」

「……そう」

 困ったように沈黙するあなた。少し視線を泳がせたあとに強引に話を進める。

「でもさ、30歳も近づいてきてるでしょ。結婚を考える時期だよね」

 その問いへの答えはさっき出したばかりなので、私は黙っている。ぐるぐると頭の中を色々な思いがめぐる。ここに来るまでに決めてきた覚悟が冷え込んでいくのを感じる。

 もう好きじゃなくなった、だから別れようってそう言われると思っていた。すでに関係は破綻気味だったし、私もぐだぐだ言わずすんなり受け入れて、さっぱりっきっぱりしようと思っていた。そのために、寂しかったしむなしかったけど、笑って「わかった」って言う覚悟を決めてきた。なのに。

「結婚はさ、考えられないんだよね。どうしても。このままずるずる付き合って、30歳になったのに、結婚できないって言うわけにはいかないからさ」

 逃げようとしている。私のことを好きじゃなくなったって伝えることから逃げている。私はあなたがすでに私のことを好きじゃないことを知っていて、受け入れる覚悟をしてきているのに、その事実からあなたが逃げている。そしてまるで私のために考えて、私のために出した結論かのように偽装しようとしている。私を傷つけるということからも逃げようとしている。私はもうすでに傷ついているのに。

「だから別れよう」

 無理やり言い切った。すでに「結婚を焦っていなくて、最終的にしなくてもかまわない」と退路を断ったけど、むりやりこじ開けてあなたは逃げた。私のほうも何もかもどうでもよくなって、「うん、わかった」と答えた。過程はどうあれ結果は同じ。受け入れるつもりで今日ここに来たのだから。

「いいの?」

 あなたは少し拍子抜けしたようだった。そうだね。私を傷つけなくてすむ方法を一生懸命考えて、自分が責められない言い方を必死に練ってきたんだから、あなたにもあなたなりの覚悟はあったよね。

 私が受け入れるとあなたは急にお酒が進みだした。たぶん気が抜けたのだろう。私が別れを拒否することも考えただろう。責められることも想定して悩んでいただろう。そんな今日の一大任務がすんなり終わって、一気に気が抜けて、お酒もまわっていった。ぺらぺらと何かを喋っている。私はほとんど聞いてない。あいまいに相槌をうって冷めかけのピザをかじっていた。

 ふと、あなたが言った。

「友達にも言われてたんだよ。彼女の年齢だったら絶対結婚考えてる。だったら早めに振ってあげたほうがいいよって」

 なるほど友達の入れ知恵でしたか。馬鹿馬鹿しくなって、笑ったら涙がこぼれてしまった。あなたは少し慌てて「泣かないでよ」といった。「俺だって寂しいよ」と。でも私は寂しかったわけじゃない。悲しくて、むなしくて、悔しかったのだ。「結婚しなくていい」と言ったし、別れたいという要望にも素直に応えたのに、全然私と向き合わず、一仕事終えたみたいに酔払って口を滑らすような軽い扱いを受けていることが本当に悔しくて涙が出たのだ。

 私は涙を拭いて

「まあ、職場ではこれからも顔をあわせるし、その時は仲良くやろうね」

 と笑った。

 あなたは「ありがとう」と言った。

 あの時綺麗ごとで終わらせた私も悪い。逃げたのはどちらだったのか。

 何度思い出しても心が痛い、あなたはきっともう思い出すこともないだろうけど。

(まれ子)

2月25日 雨の浅草とおでん

この3連休は寒かった。

週の初めはあんなに暑かったのに。暖かかったのではない。暑かったのだ。それなのに週末はもしかしたら雪が降るとまで言われ、結局雪にはならなかったがシトシトと雨が降った。

その日私は友人に誘われて浅草におでんを食べに行くことになっていた。遊びに行くには生憎の天気だが、おでんを食べるにはちょうど良かったかもしれない。天候が悪い分、いつもより人通りも少なく、開店5分前にお店に向かったら、一番乗りすることができた。

 

お店に入った瞬間から、ふわりと温かいお出汁の香りに包まれる。カウンター席に案内されて、お友達のお勧めと、いくつか気になったおでんを頼む。どれこもこれもしっかり味が染みていてじんわり幸せな気持ちになる。大根や白滝なども美味しいが、イカ天を考えたのはどこの誰なんだろう。さらりとしたお出汁がしっかり染みているだけでなく、揚げの油が逆に染み出してコクになる。おでんだけじゃなく、季節ものということで生牡蠣もいただく。ここ数年、生では食べてなかったので久しぶりの食感。生臭くなく、独特のクリーミーさ、歯応え、海の味。私も大人になったもんだと思いながら、美味しいおでんと、楽しい会話を楽しんだ。

 

早めにお店に入ったので、食べ終わってもまだ時間が早く、夜の浅草を少しだけ散歩。相変わらず雨が降っていたので傘をさしながら浅草寺に向かった。温まった身体には雨もそこまで辛くなく、むしろ景色の彩となった。夜になってますます人気の減った浅草寺は静かなぐらいだった。参道が艶やかに雨に濡れていて、そこに朱がよく映えていた。めずらしく日本酒まで手を出していた私はふわふわした気持ちで美しく様変わりした境内をながめ、そのまま手を合わせた。そういえば前に浅草寺でお参りした時も酔っていたな。いつも酔っ払っていてごめんなさい。と仏様に挨拶。

 

寒い2月の夜の楽しみ方としては、かなり上質だったと思う。

もう間もなく春。

(まれ子)

スケッチを重ねる

 駅前にミスタードーナツができた。前の月から老いも若きも天気の話題の代わりにそのことを口にしていた。町のみんなが待ち望んでいたこの日、わたしはクリスピークリームドーナツへ行った。店員さんが二人でおしゃべりしていて、はっきりと「あっちのほうが駅に近いですしね…」「GODIVAとコラボしてたし…」と言うのが聞き取れた。本当は一つだけドーナツを買いに行ったのだが、二つにした。オリジナルグレーズドがもらえるクーポンが発行されていたので、結局三つのクリスピークリームドーナツの入った箱を抱えて家に帰った。

 

 昔この町には写真館がふたつあった。
 ひとつは富士山が見える結婚式場の中にあった。わたしはそこで何度か写真を撮られたはずだが、写真館自体の記憶はなくロビーやエレベーターの床にカーペットが敷かれていたこと、室内は少し暗くて豪華な照明があったことしか覚えていない。その建物から富士山を見たかどうかもわからない。
 もうひとつはデパートに併設された写真館で、今もある。たくさんのチェーンの写真スタジオと、わざわざこの町に写真を撮られに来る人のための隠れ家的スタジオがひしめく今、デパートの写真館は老舗らしく穏やかに尊大に構えている。

 そのウインドウに成人のお祝い写真のキャンペーンポスターが貼られていた。振り袖を着たモデルの女の子はキリッとした目で、見ようによっては不機嫌にすら見える。目も口も頬も微塵も笑っていない。クールな表情は美しかった。
 むりに笑わなくてよかったんだ。昔々、自分が赤い振り袖を着て撮られた写真を思い出した。「お祝いだから!」「写真に残るから!」写真館の人に、あるいは常識に笑うことを強制されて変な顔をしていた。赤い振り袖、紫の振り袖、緑色の袴、ピンクベージュのスーツ、紺のピンストライプのスーツ、紺のセーラー服、グレーとブルーのチェックのスカート、どれも台無しにしてしまった。わたしはもう笑おうとしなくていい。

 

都道沿い」

(NZM)

100のお題挑戦をいったんやめるということ

100のお題を何回も挑戦して毎回途中、どころか10回にも満たずにやめてしまうことがつづいているが、そもそもなんで100のお題がやりたいのかってことを考えていた。

 

もちろんお題があったほうが文章が書きやすいからというのはあるけれども、私が100のお題に興味を持ったきっかけはある個人のイラストサイト。もうどこの誰のものだったのかはわからない。ただ古の時代、まだイラスト描く人も文章書く人も個人でサイトを立ち上げて、メールや掲示板で閲覧者とコミュニケーションしてた頃の一つのサイト。そのサイトではオリジナルのイラストをたくさん載せていたのだが、その中に100のお題に沿ったシリーズがあった。私が発見した時にはすでに100枚のイラストが上がっていて、挑戦は終了していた。一枚一枚イラストをみていくと、100枚で一つの物語になってるようだった。お題そのものは単語のリストで特に連続性はないのだが、イラストはお題に沿いながら物語をもたせていて衝撃をうけた。漫画のようなストーリーではなく、セリフもなく、一枚一枚の絵はお題の絵として完結していて、並べると物語が見えてくるという構成。当時は色々なサイトでお題挑戦が行われていたが、そのように横にストーリーを広げている書き方をみたことがなかった。サイトを覗いたぐらいだから、イラストももちろん素敵だなと思ったが、その100のお題の挑戦方法にともかくびっくりしたのだった。たぶん、私がまだ学生のころだと思う。

 

それ以来、私はずっと100のお題に憧れていた。私はイラストを描かないので、文章で挑戦することになるが、同じように繋がりのある短編連作にできないかなと考えていた。想像通りそれはとても難しくて、いろいろなサイトのお題を眺めたけれどなかなか繋がった文章集にできそうだと思えるお題はなかった。100のお題はそういう用途で作られているわけではなく、そこをアイディアでつなげられるかがこの取り組みの面白さなので当たり前のことなのだが。結局うまくやれそうにないなと思い、まずはそもそも100個の文章を書けるのかということで、繋げるのはあきらめてお題に挑戦するようになったのだった。

 

この気持ちはずっと心の底にあったものの、最近100のお題に取り組むときは、最初のイラストサイトに憧れた気持ちはほとんど忘れてたように思う。そして文章を書く練習とそのきっかけとしてお題と向き合っていたが、いつのまにか「お題の文章浮かばないな」という理由でブログの更新から遠ざかったりもした。これだと本末転倒ではないだろうか?もともとはお題があったほうが書きやすいということで頼っていたけれど、今となってはないほうが書きやすいのだ。(まさに今のように)

 

ということで、「完成度はともかく文章をいっぱい書く」という目的の上では100のお題挑戦はいったん忘れたほうが良さそうなのでやめることにした。一方で私が何度もお題に挑戦しようとするのは、過去に巡り合ったイラストサイトの物語性に憧れてのことなので、文章の練習をして、自分の中で世界観を膨らませて、本来やりたかったことを目指せるようになったらまた再開したいなという気持ちも無理に捨てないでおく。あきらめるか、あきらめないかではなくて、いったん「今は別の方法にかえて、挑戦できそうだったらする」というゆるやかなスタンスになれたのもよかった。

 

その代わりに、このブログでは文章スケッチをしようと思っている。前回のネイルの文章のようにその日あったこと、見たことの一つを写し取る感じの文章。いまはこれが一番書きやすいので。今日の文章はほとんど自分の心情の話なので厳密にはスケッチではないけど、もやもや考えたことをそのまま書き写すような文章も広義ではスケッチでいいかなと。(心情スケッチ)

このスケッチという言葉は村上春樹が使っていたはずで、それを見た時からやってみたい文章の書き方でもあった。たぶん「遠い太鼓」で出てきたんじゃないかな。定かじゃない。村上春樹のスケッチはもっとずっと、「スケッチ」という感じが強い文章だったけれども、私は私のやりたいように、やりやすいように書こうと思う。

 

ともかく数を撃ちたいという時期なので、一週間で2個かけてるのはいい感じ。

(まれ子)

2月17日 ネイルサロンに行った日

とりあえず、ともかくスケッチ的な文章をひたすら書こうかなと。。。

 

今日はネイルサロンにいった。

本当は月曜日に行くはずだったんだけど、体調悪くて今日に。早めに来られてよかった。爪が伸びるとしんどい。

事前に考えて、今回ネイルは水色×オーロラに。そのぐらいはっきり決めて行くときとなんとなく色だけとかニュアンスだけ決めて行くときがあるけど、今回は明るい春カラーにしたくて水色にした。

 

ネイルサロンってオフまで含めるとだいたい2時間の拘束時間になる。美容院より長くなることが多いうえに、スマホとか雑誌も見られないので結構時間のつぶし方が難しい気がする。ネイリストさんとお喋りっていうのもあるけど、さすがに2時間喋りっぱなしはお互いきつい。みんなどうしているのだろうか。口コミとか見てると映画とか見せてくれるところもあるみたい。たしかにちょうど一本分ぐらい。私が行ってるサロンはそういうのはないので、基本的に施術を眺めてることになるんだけど、私はこの施術眺めるのがかなり好き。もう10年ぐらい同じところに通ってると思うので、何回見たのかわからないけど、毎回飽きずに眺めている。

 

本当は事細かにその様子を書こうかなと思ったけど、さすがに長すぎる気がするので、工程の中でも私が好きな2つについて書く。

 

一個は甘皮処理。

以前はふやかして、根元までハサミで処理してたんだけど、乾燥が気になるということで今はドライケア(押し上げて除去できる範囲だけ除去)のみ。でもそれだけでも爪がかなりキレイに見えるようになる。普段爪を見てるとまあ確かに甘皮あるんだけど、そんなに気になる存在ではない。少なくとも私にはよくよく見ないとわからない。でも甘皮処理が終わるとびっくりするぐらい指先がキレイに見える。このギャップがすごくて見ているのが好きだ。ハサミも使って処理するともっとすっきりする。私は足の爪は普段ネイルしてないけど、たまにやってもらってケアしてもらうと、見た目もきれいになるけど、なんと立つのも楽になる。爪って本当にちょっとしたケアで全然違うものになる。不思議で面白い。ところで結局甘皮ってなんなのか。

 

二個目はトップコートを塗るとき。

一番最後に近い工程。特にアートをしっかりしてるときはトップコートがすごく楽しみ。コートすると急に、ネイルが完成する。重ねたアートは奥行きがでて味わいが増すし、ラメやホロみたいな素材を使ってる場合は輝き方が変わる。全部がキュッとまとまって完成する感じがする。この感覚が好きでトップコートはわくわくして見ていることが多い。ネイリストさんはトップコート塗ったときに起きる変化から逆算してアート部分を作りこむこともあるみたいで、とんでもない技術だなと思う。

最近ちょっとレジンで小物を作ることがあるけど、このトップコートで奥行き出す感じは真似したくてちょっと参考にしている。

今回はオーロラーパウダーを使っているので、カラーを入れたとき→パウダーをつけたとき→トップコート塗ったときで3段階変化していて見ていて楽しかった。

 

こういうことって普段ポツポツとツイートしてるんだけど、いったん長文で書いてみたいなと思って書いた。目の前のこと、思ったことをそのまま文章にする。

スケッチみたいな文章として。

今日はネイルの施術眺めながらどう書こうかなって考えていた。

そういう過ごし方も楽しい。

(まれ子)

朝ぼらけ

黒のハイネックとブルージーンズで過ごす日が多いので、家族にスティーブ・ジョブズとたまに呼ばれる。お正月に会った兄が同じ理由で家族からスティーブ・ジョブズと呼ばれていると言った。さらにもう一人の兄の家では小学生の甥が同様にジョブズと呼ばれているという。長兄、次兄、わたしのそれぞれの家に一人ずつジョブズがいる。誰のハイネックもイッセイミヤケではない。

ヘルニアで椎間板を一つ失ったから、そのぶん身長は縮んでしまっただろう。覚悟して臨んだ身体測定で、4mm背が伸びていた。社会人になってからの健康診断では毎回身長が微増している。じわじわとでもこの十数年成長してきたわたしの体。

「初詣」

NZM