100のお題挑戦をいったんやめるということ

100のお題を何回も挑戦して毎回途中、どころか10回にも満たずにやめてしまうことがつづいているが、そもそもなんで100のお題がやりたいのかってことを考えていた。

 

もちろんお題があったほうが文章が書きやすいからというのはあるけれども、私が100のお題に興味を持ったきっかけはある個人のイラストサイト。もうどこの誰のものだったのかはわからない。ただ古の時代、まだイラスト描く人も文章書く人も個人でサイトを立ち上げて、メールや掲示板で閲覧者とコミュニケーションしてた頃の一つのサイト。そのサイトではオリジナルのイラストをたくさん載せていたのだが、その中に100のお題に沿ったシリーズがあった。私が発見した時にはすでに100枚のイラストが上がっていて、挑戦は終了していた。一枚一枚イラストをみていくと、100枚で一つの物語になってるようだった。お題そのものは単語のリストで特に連続性はないのだが、イラストはお題に沿いながら物語をもたせていて衝撃をうけた。漫画のようなストーリーではなく、セリフもなく、一枚一枚の絵はお題の絵として完結していて、並べると物語が見えてくるという構成。当時は色々なサイトでお題挑戦が行われていたが、そのように横にストーリーを広げている書き方をみたことがなかった。サイトを覗いたぐらいだから、イラストももちろん素敵だなと思ったが、その100のお題の挑戦方法にともかくびっくりしたのだった。たぶん、私がまだ学生のころだと思う。

 

それ以来、私はずっと100のお題に憧れていた。私はイラストを描かないので、文章で挑戦することになるが、同じように繋がりのある短編連作にできないかなと考えていた。想像通りそれはとても難しくて、いろいろなサイトのお題を眺めたけれどなかなか繋がった文章集にできそうだと思えるお題はなかった。100のお題はそういう用途で作られているわけではなく、そこをアイディアでつなげられるかがこの取り組みの面白さなので当たり前のことなのだが。結局うまくやれそうにないなと思い、まずはそもそも100個の文章を書けるのかということで、繋げるのはあきらめてお題に挑戦するようになったのだった。

 

この気持ちはずっと心の底にあったものの、最近100のお題に取り組むときは、最初のイラストサイトに憧れた気持ちはほとんど忘れてたように思う。そして文章を書く練習とそのきっかけとしてお題と向き合っていたが、いつのまにか「お題の文章浮かばないな」という理由でブログの更新から遠ざかったりもした。これだと本末転倒ではないだろうか?もともとはお題があったほうが書きやすいということで頼っていたけれど、今となってはないほうが書きやすいのだ。(まさに今のように)

 

ということで、「完成度はともかく文章をいっぱい書く」という目的の上では100のお題挑戦はいったん忘れたほうが良さそうなのでやめることにした。一方で私が何度もお題に挑戦しようとするのは、過去に巡り合ったイラストサイトの物語性に憧れてのことなので、文章の練習をして、自分の中で世界観を膨らませて、本来やりたかったことを目指せるようになったらまた再開したいなという気持ちも無理に捨てないでおく。あきらめるか、あきらめないかではなくて、いったん「今は別の方法にかえて、挑戦できそうだったらする」というゆるやかなスタンスになれたのもよかった。

 

その代わりに、このブログでは文章スケッチをしようと思っている。前回のネイルの文章のようにその日あったこと、見たことの一つを写し取る感じの文章。いまはこれが一番書きやすいので。今日の文章はほとんど自分の心情の話なので厳密にはスケッチではないけど、もやもや考えたことをそのまま書き写すような文章も広義ではスケッチでいいかなと。(心情スケッチ)

このスケッチという言葉は村上春樹が使っていたはずで、それを見た時からやってみたい文章の書き方でもあった。たぶん「遠い太鼓」で出てきたんじゃないかな。定かじゃない。村上春樹のスケッチはもっとずっと、「スケッチ」という感じが強い文章だったけれども、私は私のやりたいように、やりやすいように書こうと思う。

 

ともかく数を撃ちたいという時期なので、一週間で2個かけてるのはいい感じ。

(まれ子)